アーティスト・ステートメント

Life is fleeting; therefore, life is beautiful.
(いのちは 儚い; それ故、 生きることは 美しい。)

私の作品は、 この言葉を基に成り立っていると言っても過言ではない。「非永久性」の持つ、 もろく、 つかの間の「美」こそを、「真の美」としてとらえている。

ここ数年の作品は、 私の個人的経験に基づいている。 「生」と「死」のバランス、 「有」と「無」、 そして「モノ」とその周りにできる「間」。 その表現は、 一般抽象的表現よりも、 鑑賞者とのつながりをより深めると信じている。 そして作品を創作するにあたり、 キーワードを決める。 そのキーワードを基に、 概念的そして視覚的に、 展開されていく。

私の作品の重要な要素である「概念」と「美」は、「場」より生まれる。 そしてそれは「場」の歴史等に基づく site-specific な作品と、「場」のありように作用される site-adjusted な作品になる。 鑑賞者は、 私の「場」の解釈をいかようにも読み取ることが出来る。 私にとって重要なのは、 どう解釈されたかではなく、 鑑賞者の『解釈に至るプロセス』である。

とはいえ、 その「解釈」をコントロールすべく、 私は様々な「繊細」な素材を使用する: 枝、 箔、 和紙、 光、 水、 金属片、 糸、 そしてさらには電子回路をも、そのうちの一つとして考える。 これらの素材による表現は、 「静」「喜」そして「沈思」を暗示する。 またそれらの間に存在する「調和」は、 厳粛な空間を演出する。

近年の「吊り」の手法は、 私の「未来」に対する「不安」を表現しているともいえる。 「吊り」という形態と 「繊細」な素材による作品は、まるで一瞬にして消えてしまう枝と枝の間に張る蜘蛛の巣のようでもあり、 短命な蜉蝣(かげろう)のごとき「儚さ」をも感じさせる。 この「解釈」は私が望むうちの一つかもしれない。

私の作品は「観る」や「聴く」というよりも、 むしろ「経験する」というもの、 すなわちインタラクティブな作品である。 鑑賞者の「経験」をより豊かなものにするためにテクノロジーを使い、 五感に働きかける。

「音」と「光」は、 私の作品においてとても重要な要素である。 録音した「声」 「音」 「ノイズ」 そして自ら作曲した「曲」は、 空間を包み込む。「音」にシンクロした「光」は素材の陰を作り出し、 鑑賞者に語りかける。 それらの波動は、 私のメッセージを繁殖・伝達していく。 その結果、 鑑賞者は、心理的、 そして生理的に私の作り出す「場」から『解釈に至るプロセス』へと導かれる。